
COVID19と米国政府の対応
米国政府の初期対応は若干遅かったようですが、その後の対応は早い点もあり、特に国民の救済となればその対応の早さは本当にうらやましい限りです。その点、日本の対応は腹立たしいほど遅いですね。
たとえて言うと、台所で火が出ている時に、近くにある消火器を使おうと思って安全ピンを抜こうとすると、「お前は消火器を扱う資格を持っていない」と言う理由で使わせてもらえず、そのまま時間が経ち家全体に火が回るのと同じですね。これって笑い話と思いますが、実際にはこれと同様のことが進行しているのが今の日本ですね。
そもそも誰が規則や規定を作ったのか知りませんが、不完全な人間が作ったわけですから、あまりにも規則とか規定を重んじるあまりに、結果的に全く融通が利かなくなる事はやめるべきではないのですか?これは、もしかすると日本人は他人の失敗を叩きすぎる傾向が強いために、多くの人は責任を追及されないように、ちゃんと規則を守って行動して自己の責任を免れるようにする習性が強いのかも知れません。逆に言えば「おれが責任を取るから」と言って行動する責任者やリーダーがあまりにも少ないように思えます。
それとは別に、かの有名なPopeが少し前に述べたように、日本は「世界一冷たい人間の集まり」であると日本人に警告を発しました。この意味は、日本人は表と裏があり、身内には非常に丁寧に大切に接するが、他人に対しては全く逆の方法で接する傾向がある事を的確に指摘しているのです。要するに日本の社会は「村社会」が巨大になっただけのようです。特に関東の人はこの傾向が強いようですね。
関西はどちらかと言えばあまり村社会でないようです。これは、やはり商人の町で栄えた歴史があり、村社会のような構造では正常な競争原理が働かずうまく物事が進まないと商人達が学習した結果だと思います。そのように学習したために、関西は村社会から脱皮できたのかも知れません。ところが。関東では未だに商人の世界でもやはり「強い村社会性質が顕著に現れている」とその筋から聞いています。よって新しい改革なんていうのは関東の人々に求めるのは間違いかもしれませんね。考えてみると、明治維新だってほとんど西日本からの力があったからこそ可能であった事を歴史が教えています。でも、その西日本からやって来た政府高官も関東に長く住みすぎると、その村社会に飲み込まれてしまったように思えてしかたがありません。まあ、これは持論ですのでそのまま鵜呑みにしないで下さい。
筆者は関西出身なので、たったの5年半ほどの関東生活で分かりますが、関東の人々は本当に従順ですね。なにも文句を言わずに淡々と決められた枠のなかで規律正しく生きているのには本当に驚きます。筆者は思うに、これは受験勉強の弊害ではないのかなと考えています。つまり個人の力を、決められた枠の中でしか発揮できない教育を長年受けて成長したので、決められた枠がおかしいとか替えるべきとか発言する事があまりなく、また仮に考えたとしても無力感がまず表に出て、結局はなにもできないままに、従順に従っていく生き方を選んだ結果が今の日本ではないのかなと考えています。
かなり寄り道をしましたが、ここで言いたかったのは筆者の娘達が米国で在住していますが、彼女達は1週間ほど前に既に15万円近い政府の生活援助金の入金があったと伝えている事です。日本は世界一多くの外貨保留国で、財政的には十分お金があるのに、海外諸国で行われている当たり前の事が素直に実行できる国に変えなければならないと思います。(2020年4月24日)
久保秀幸(1950年3月~2018年5月)
突然の話になりますが、旧友であり同い年の久保ちゃんが、奈良の友人を訪問している間に持病の心臓疾患のために早68歳で他界しました。これは本当にショックでした。暫くはなかなか実感がわいて来ませんでした。でも我々この世に生を受けた者は、必ずこの世を去る日がやって来る事を痛いほど知らされました。この日から自分の人生感が変わり、大切な事はなるべく早く済ませて、当面の生活に必要ではない物や事柄は早めに処分しておくように心がけるようになりました。お陰で生活が簡素となりスッキリしました。これって年寄になって来た証ではないのかなと感じています。そんなこの頃です。(2019年10月2日)